2008.02.14

【うつ病の経緯】退職、そして上京

2002年の3月、職場に復帰することなく退職しました。公務員だったので、休職を続けても、給与が8割支給される期間はまだあったのですが、もう復帰することはない、と決めて、辞めてしまいました。

それから4ヵ月後、上京してきました。これからは、仕事だけではなく、趣味を大事にして行きたいと思ったのです。ビデオカメラで映像を撮って、編集をしたいと思っていました。東京へはすっと憧れていました。学生時代の友人が、演劇をやるために東京へ出て行って、楽しそうにしているのを見て、影響されたのかもしれません。

上京を決めたとき、カウンセラーは、やりたいことができたのはいいことだと、賛成してくれました。口に出しては言われませんでしたが、今思うと、親離れすることがいいと思われていたような気もします。

絶対反対すると思った母も、心配しながらも「今までひとつも、好きなことはさせてこなかったから・・」賛成してくれました。

引越しの時には、父と母が手伝ってくれました。そして、私は新たな生活を始めました。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ←押していただけると幸いです<(_ _*)>

2008.02.13

【うつ病の経緯】母と私

カウンセリングでいちばん時間を費やしたのは、母と私の関係についてだったと思います。

母は私に、依存していたと思います。小さい頃から、かなり厳しく育てられました。反面、愛情も多く注がれました。

よく、「お嫁には行かず、一生お母さんの面倒を見てね」と冗談半分、本気半分で言われていました。

進学する際も、浪人はだめ、私立もだめ、地元でなければだめ、文系は就職できないからと制限をつけられました。結局センターの結果が悪く、大学は諦め、特別に、と許され、地元の私立短大に行きました。

就職も、「あんたは不器用で何もできないから、公務員になりなさい」と言われるまま、公務員になりました。

また、よく父への不満だとか、職場での人間関係のことなどを、私に話してきました。妹や弟が言うことを聞かないときに相談されたりもしていました。母は、気性が激しいところがあったのですが、私に話すことで、発散をしていたと思います。

逆に私が、職場の悩みなどを打ち明けると、「しっかりしなさい」と怒られることが多かったので、次第に打ち明けなくなりました。

そういう、母との関係を話すと、カウンセラーは、「母と娘の関係が逆転しているようですね」と言われました。お互いに、精神的に自立する必要がある、とも言われました。

私がうつ病になったのは自分のせいだと、母は自分を責めているようでした。私は、母が好きだし、全部が母のせいでは無い。けれど、お互いに自立しなければならない、ということを伝え、母もわかってくれたのだろうと思います。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ←押していただけると幸いです<(_ _*)>

2008.02.12

【うつ病の経緯】カウンセリング -2-

カウンセリングでは、なるべく、外へ出たり、運動したりしたほうがいいということを言われました。

散歩に出てみて、嫌になったり、疲れたりしたら、そこで戻ればいいので、あまり気負わずに、まずは出かけることを勧められました。

私は序々に出かけるようになり、近くの公営プールに週何度か行って水中を歩いたりしていました。また、運転免許証を取りに、自動車学校にも通い始めました。

当時働いていた母も、忙しい中、時間を見つけては、私を外へ連れ出してくれました。街中にご飯を食べに行ったり、電車やバスで、ちょっとした観光に行ったりもしました。

また、趣味を見つけるといい、とも言われました。当時の私は、音楽を聴くことが好きで、ライブのために東京や、時には岡山まで行くほど好きなバンドが居たのですが、当然、ライブの日程が無いときには、どうすることもできません。能動的に行う趣味、というのはありませんでした。

だから、仕事で嫌なことがあっても、発散することが難しかった、というところもあったと思います。

母はパソコンを買ってくれ、私はネットを始めました。世間の広さというか、色んな人がいるということも感じたし、やろうと思えばたいていのことは出来るんだな、と思った記憶があります。

そのうちに、映像を撮ったり、編集したりすることを趣味にしたいと思い、ビデオカメラを買って、出かけた先の風景を撮ったりするようになりました。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ←押していただけると幸いです<(_ _*)>

2008.01.27

【うつ病の経緯】カウンセリング -1-

カウンセリングでは、『認知療法』が主でした。

始めに、テストのようなものをやった記憶があります。

「結婚は○○」とか「母は○○」という文章の○○の部分に、連想される言葉を入れていくものでした。

私は、「結婚はできない」とか、「友人は少ない」とか、後ろ向きで、暗い回答を書いていたような気がします。

また、『認知療法の手引き』という小冊子を渡され、家で中身を読める範囲で、読んでくるように言われました。

カウンセリングの中で、印象に残っているのは、「完璧主義な人の部屋は意外と散らかっている」という話です。片付けるなら、徹底的に整理整頓しなければ気が済まない。徹底的にできないのなら、全く手をつけないほうがマシ。ということで、部屋が散らかってしまう、という話でした。

私にはこんな風に、「0か100か」で考えてしまう傾向が強いと言われました。80の出来なら、「残り20が出来なかった」ではなく、「できた80を自分で誉める」という考えに変えていきましょう、と言われました。

また、したくないことを「今日しなくては」と考えずに、「明日にしよう」「また明日にしよう」と言う風に延ばしていけば、結局やらなくて済む、ということも意外と多い、とも言われました。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ←押していただけると幸いです<(_ _*)>

2008.01.24

【うつ病の経緯】転院 -2-

転院を勧められても、面倒だとか、億劫としか思えませんでしたが、断る気力も無かったので、母に付き添ってもらい、別の病院へ行くことにしました。

そこは総合病院で、以前内科でかかったことのある、なじみのある病院の心療内科でした。

本来は、予約が一杯で、受け入れてもらうのは相当先になるところだったのを、母が頼み込んで、診てもらえることになった、とのことでした。

医師は、中年の男性の先生でした。いきさつなどは特に聞かれず、すぐにパソコンでの心理テストを受けました。

そして、2週間に1度の通院で、1時間弱のカウンセリングを受けることが決まりました。

処方された薬は、

朝・夕食後 : ルボックス錠25mg×2
不眠時   :  ロヒプノール錠 1錠
偏頭痛時  : ブルヘン錠100mg×2

でした。

転院したことについて、私自身は特に何も思いませんでしたが、母は、少し安心したようでした。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ←押していただけると幸いです<(_ _*)>

2008.01.17

【うつ病の経緯】転院 -1-

一向にうつ病の症状のよくならない私に、「一度、一緒に病院に行ってもいいか」と、母が切り出してきました。

あまり、気乗りはしませんでしたが、一緒に、行くことにしました。

診療後、母は医師と少し話をしていました。

家に帰った後、母は言いました。

「嫌だったら構わないけど、病院を変えてみたらどうか。今の病院だと、薬の種類を色々変えているだけで、様子がよくなっているようには思えない。」とのことでした。

たまたま、かつての同級生のお母さんに会ったとき、その同級生が、やはりうつ病になったけれど、よくなったということで、その子が通っていた病院にしてみてはどうか、ということでした。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ←押していただけると幸いです<(_ _*)>

2008.01.17

【うつ病の経緯】長期休暇 -3-

長期休暇が2ヶ月目に入っても、症状はよくなりませんでした。

相変わらず、部屋にこもりがち。だらだらとTVを観ているか、好きな音楽も、CDを取り替えるのが億劫で、同じCDを繰り返し聴いていました。

過眠がちで、昼夜も逆転。外へ出るのは、薬を貰うためだけの通院だけ、という日々でした。

そんな生活に、普段は規律に厳しい母は何も言いませんでしたが、かなり心配していたようでした。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ←押していただけると幸いです<(_ _*)>

2008.01.15

【うつ病の経緯】長期休暇 -2-

長期休暇を取るにあたって、家族の反応は優しいものでした。

母親は、厳しく、真面目で、時々ヒステリックになる性分の人だったので、始め、病院に行ったことを打ち明けるときには、相当緊張しました。

しかし、打ち明けると、私の様子がおかしいことには気づいていて、自分で病院に行こうとするくらいだから、まだ安心できる、と言ってくれました。職場をこっそり休んだりするよりは、正式に長期休暇を取ったほうがまだいいとも言っていました。

そして母は、自分が厳しすぎたこと、大学に進学したかったのに諦めさせたこと、就職のときも、安定しているから、と公務員を強く勧めたことなどが原因だと、自分を責めていました。

兄弟も、驚いたとは思いますが、優しく受け入れ、普通に接してくれました。

当時単身赴任をしていた父には、心配をかけないように、黙っていることにしました。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ←押していただけると幸いです<(_ _*)>